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インターネットは民主主義の敵、ではない

2006年06月13日 14:15
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サンスティーン・シカゴ大教授の『Republic.com』(邦題『インターネットは民主主義の敵か』)は出版当時大きな注目を集めた。しかし、本当にインターネットは「民主主義の敵」なのだろうか?

Cass Sunteinの著書、Republic.comの邦訳の書名は『インターネットは民主主義の敵か』である。私はこの本を2002年ごろに原著で読んだ(その当時の感想はここにある。)。Daily Me(デーリーミー:個人用に設定された情報通信パッケージのこと)の持つ危険性や、group polarization(集団分極化:この言葉の説明は後述)、argument pool(議論プール:議論するための空間)といった概念を織り交ぜながら、彼はインターネットの持つ意見の先鋭化やタコツボ化を懸念していた。

サーチエンジンの検索結果の個人化が進み、RSSなどを利用した情報の個別配信が進むと、個人のPCにあらかじめ選別された情報のみを届けさせることが実現できるようになるだろう。それは一見便利に思えるが、誰もが必要な情報しか手に入れなくなる、或いは手に入れられなくなるという可能性を孕む。

ここでは、まず彼がRepublic.comで論じたインターネットの危険性について簡単に解説してみる(引用には『インターネットは民主主義の敵か』を用いた)。そして、その後Republic.comの邦訳『インターネットは民主主義の敵か』にある「日本版への序文」で彼の見解が180度変わってしまっていることについて言及する。

まず、表現の自由の制度が機能するための条件として以下の2つを挙げている(p29)

  1. 自分が最初から意欲的に選ばなかったものにも接触すること
  2. 市民はさまざまな共有体験をもつべき

彼は、予期せぬ思いがけない出会いから自身の選択ではない見解や話題にさらされることが民主主義の中核であり、そして、混合型社会では共有体験がなければ社会の分裂を促し問題の増加に繋がってしまうと述べている。

また、インターネットが集団分極化(group polarization)を助長するからこそ危険だとも論じていた。集団分極化は同じような考え方をした人たちが集まって議論を行う場合、以前から考えていたことをより過激なかたちで考えるようになる現象のことであり、インターネットがこの傾向を助長させ高度の分裂化が起きているのではないかと危惧している。

集団分極化が進行し、議論の幅が狭まり議論プール(argument pool)が縮小することを彼は危惧する。また、市民の立場で求める政策や目標と、消費者の立場から求めるそれとは立場が異なることについても指摘していた(p.116)。

ここまでの議論の流れを受け、以下の3点が重要な課題となる(p170)。

  1. 本来であれば選択しなかったであろう資料、話題、立場に出会う必要性
  2. 幅広い共有体験の価値
  3. 政策や原則への本質的な問いと、そうした問いへの幅広い回答に出会うことの必要性


そして、この状況を打開するために以下の6つの案を提示している(p172)。
  1. 議論の場の創造
  2. 情報通信の制作者が関連情報を公開すること
  3. 自発的な自己規制
  4. 公的助成を受けている番組やウェブサイトを含めた資金助成
  5. リンク形式での「掲載義務」ルール。人気サイトに特定のリンク・ポリシーを義務づけ、一方的ではないさまざまな問題に目を向けさせることが目的
  6. 非常に党派制が強いウェブサイトを対象にしたリンク・ポリシーの義務付け。反対意見のあるリンク先のコンテンツを通じて閲覧者に違った見解も学んでもらうことが目的

インターネット出現以前は、自由は国家により保障されるものだった。何故なら自由は様々な場面で(専ら国家によって)拘束されることが多々あるからだ。しかし、インターネットはその状態を変えてしまった。インターネット上では自由が先行している。上記6つの案では、国家が一定の規制をかけることにより、インターネット上での議論の場の大きさを確保していこうと提言している。

さて、ここまでが原著に書かれていた内容の概説である。これを読む限りでは、Sunsteinはインターネットの持つ議論の先鋭化や集団分極化といった状況を悲観視しているように見受けられる。実際、2002年当時に原著を読んだ私もそのような印象を受けた。

しかし、2003年にこの本の邦訳、『インターネットは民主主義の敵か』が出版されるにあたり新たに追加された「日本語版への序文」ではこれまでとは全く逆の見解を示している。彼は以下の2つの主張を区別することが重要であると述べている。

1.民主制度は、広範な共通体験と多様な話題や考え方への思いがけない接触を必要とする。この主張に賛同する人たちからすれば、各自が前もって見たいもの、見たくないものを決めるシステムは、民主主義を危うくするものにみえるだろう。考え方の似たもの同士がもっぱら隔離された場所で交流しているだけでは、社会分裂と相互の誤解が起こりやすくなる。 2.インターネットは民主主義にとって害になる。なぜならば共通体験が減るだけでなく、人々がそれぞれのエコーチェンバーに棲みつく状況をつくり出すからである。この主張に同調する人たちからすれば、現在の情報伝達システムは、これまでの一般的商業メディアが中心となっていたシステムに劣ることになる。(p8)

私は原著を読んだ時点では、彼は2番目の主張に賛同しているのだと考えていた。しかし、邦訳の序文ではまず1番目の主張に賛成意見を述べた後、2番目の主張に賛同できない理由として、インターネットが集団分極化を助長するのではなく、阻止するためのツールであるからと論じている。原著でインターネットが集団分極化を助長する要因となり、討議型民主主義に悪影響を及ぼすと述べていたはずであるのに、何故このような心変わりをしてしまったのか。

いずれにせよ、旧来の情報通信技術は新しい技術と共存している。両者のあいだには複雑な相互作用があり、それは今後も続くだろう。日刊紙と週刊誌はともに消滅していないし、その兆候もない。デーリーミーを毎日のニュース源とする人たちだって、他のものを読んだり見たりしている。インターネット上での思いがけない出会いは頻繁にある。いずれにせよ、われわれはメディアを通じてのみ生活しているわけではない。どこの国でも日常生活の共通体験はたくさんある。(p9)

つまり、こういうことだ。確かにインターネットには集団分極化を助長する作用があるかもしれない。それは今後実証データが集まっていくにつれ明白となっていくのだろう。しかし、私たちが日々利用しているツールはインターネットだけではない。新聞や週刊誌やテレビのニュース、知人・友人から聞くさまざまな話など、それら全てが「日常生活の共通体験」を創り上げる材料となる。インターネット上だけでは凝り固まりがちな議論の流れも、一旦ディスプレイから目を離し現実世界を省みれば、それまで自分が気付くことのなかった様々な選択肢に溢れていることに気付く。それに、インターネットにしても閉鎖的なだけではない。たとえば、検索エンジンを使った際に、自分の意図した文脈とは違うエントリを読むことで思わぬ発見があるかもしれない。今のところ検索エンジンは文脈の一致までは行えない。逆にそのことが、思いがけない出会いを実現する可能性もある。SNSやblogなど、パソコン初心者でも容易に扱うことのできるメディアも増え、そこで行われる日々の他愛のない会話の中から生まれてくる新しい何かも勿論あることだろう。

Web 2.0という言葉が昨今大人気だ。でも、梅田望夫の言葉を借りれば、それはインターネットの「向こう側」の話である。でも、変えるべき、私たちが実際に日々の生活を営む環境は未だに、そして恐らくは今後もしばらくは「こちら側」にある。インターネットは民主主義の敵、ではない。それは私たちの価値観の幅を広げてくれるかもしれないツール、でもある。その使い方を決めていくのは、ツールの使い手である私たちの手に委ねられている。Web 2.0がネットの「向こう側」で起きている出来事であるならば、ネットの「こちら側」で起きていて、日々の生活の在り方を変えて行くかもしれないReality 2.0も、あるのではないだろうか。そしてインターネットはReality 2.0にも、なんらかの変化をもたらしてくれるのだろう。"

ced
2007年07月01日 19:05 更新