初めに、カリスマMarcel Gagnéの講演を聴いた。12月中旬リリース予定のKDE 4.0の特徴から語り始めたGagnéは、KDE 4.0は現行KDEを含む既存のあらゆるデスクトップ環境と一線を画しているという。
KDE 4開発の前提は、ユーザー・インタフェースは自然なものでも直感的なものでもないということ。人に対応するインタフェースを設計するのではなく、人がインタフェースを使って作業することを学ぶのだ。デスクトップを発展させ前へ進めるために辿るべき道は有機化であり、デスクトップは人がこのように動いてほしいと思う形で動かなければならないという。
このような解説と、まだ進化途上という前置きを述べたうえで、GagnéはKDE 4.0を実際に動かし、すでに搭載を予定しているさまざまな新機能を30分ほどかけて披露した。パフォーマンス好きの人なら、この新しいデスクトップに満足するだろう。
Ts'oの基調講演
昼前に行われた基調講演のテーマは「Linuxの過去・現在・未来」、講演者は1991年にLinuxの開発でLinusに協力し北米で最初のLinux開発者となったTheodore Ts'oだ。
Linuxの最初期について、Ts'oは、それは大いなる端末エミュレーターだったと冗談っぽく語った。そして、Debianの元服、Red Hat 3.0.3のリリース、Qt Public Licenseのリリース、Richard StallmanによるLinuxからLignuxへの改名提案を挙げ、それぞれ何年の出来事か尋ねた。何人かが答える中、Ts'oはそれぞれ1998年、1996年、1998年、1996年だと述べ、こうしたことの多くはすでに一昔も前の出来事になったと述懐した。
Ts'oが語ったLinux略史は次の通り。1991年7月、Linusが最初のバージョンを書く。1992年、Xを追加、最初のディストリビューションを作成。1994年、Linux 1.0をリリース。ネットワークがサポートされた最初の版。1年後、1.2が登場。これはマルチプラットフォームに対応した最初のカーネルで、SPARCとAlphaをサポートした。1996年、マルチCPU(SMP)に対応。1997年、Linux雑誌登場。利用者数は推計350万人。1998年、Fortuneに取り上げられ、企業の注目を集める。1999年、Linux 2.0登場。利用者は増え、推計700万~1000万人に。この年、ドットコム・バブル発生、Red HatやVA LinuxをはじめとするLinux株が上昇。VA Linuxは取引初日に698%の急騰を記録。Ts'oは、これはIBMの時価総額より大きいと一刀両断にした。
2000年、不況が始まった。しかし、Linuxは相変わらず目覚ましい発展を続ける。2001年には、利用者数が推計2000万人に。2003年1月、Linux 2.6をリリース。この版から新しいリリース・モデルを採用。企業に認知され始め、SunのOpteronマシンの80%は、SolarisではなくLinuxを動かしていた。その頃から、SCOが告訴し始めた。
現在は、2.6カーネルをベースとするエンタープライズLinuxディストリビューションの第2期に差しかかったところ。競争はさらに激しい。Vistaの不人気はMicrosoftのWindows XPの寿命を6か月延ばしたが、この失敗はLinuxにとっては始まりだ。Sunも、Javaのオープンソース化などオープンソースに手を広げはじめている。
SunはSolarisをGPL非互換のライセンスでリリースしており、コードの95%は今も自社開発だ。品質保証を懸念した結果だが、それはフリー・ソフトウェア・コミュニティーも同じだ。Sunには、自分のコードが原因でビルドを3回壊したら馘首という方針がある。そうした環境からオープンソースに移行するのは難しい。
Ts'oが勤務するIBMは、逆に、コミュニティーの比重が大きく、IBMもそれを諒としている。すべてを自社でする必要はないというのがIBMの姿勢だ。
そして、SCOは破産した。Ts'oがそう語ると会場に喝采が広がったが、オープンソース・ソフトウェアは現在、法的問題、とりわけ米国Digital Millenium Copyright Act(DMCA)から派生する問題に直面している。DMCAについては、米国政府は他国にも同様の施策を求めており、つい最近オーストラリアが同調した。現在は、NovellとRed Hatが特許訴訟のターゲットになっている。DMCAがリバース・エンジニアリングを制限していることから営業秘密が問題とされる。コミュニティーとしての対策は、政治的過程に関与することだ。
