SGIがOpenGLのライセンスを変更 「フリーソフトウェア・コミュニティーへの大きな贈り物」

 9か月を経て、公然の秘密はついに承認へ――OpenGLコードはSGIが1999年にリリースしたAPIで、以来GNU/Linux上の3Dアクセラレーションを担ってきたが、そのライセンスはFree Software Foundation(FSF)にもOpen Source Initiativeにも認められていなかった。しかし、FSFとSGIの9か月にわたる交渉の結果、2008年9月19日、問題のSGI Free License BとGLX Public Licenseの改訂が発表された。これにより、問題は解消される。FSFは、このコードの寄与をコミュニティーに対する私企業の寄与として最大級のものと位置づけている。

 OpenGLは3Dアクセラレーションを支えている仕様だ。MesaX.orgにもOpenGLの実装が使われており、これがなければフリー・オペレーティング・システムのグラフィックスは2Dに限定されることになる。電子メールやオフィス・ツールならそれでもいいだろうが、ウィンドウ・マネージャー、多くのゲーム、アニメーション、高水準のグラフィックスなど、要するに今日のコンピューターで当然と思われていることの多くはOpenGLの実装を必要としている。

 ライセンス問題は数年前から公然の秘密になっており、2003年にはDebianバグ報告に問題の一端が報告されていた。しかし、エグゼクティブ・ディレクターのPeter Brownによると、今年1月にOpenBSDの利用者がFSFに問題を報告するまで、ほとんど何の動きもなかったという。この報告以来、フリーではないソフトウェアの完全排除を目標とするgNewSenseディストリビューションはOpenGL関連ファイルを削除している。

 SGIでLinuxエンジニアリングのディレクターを務めるSteve Neunerによると「SGIはしばらく前にこの問題に気づき、コミュニティーとの接触を続けてきた」という。しかし、公式の発表は何も行われなかった。これについてBrownは「我々としてはこの問題に注意を引きたくなかったのだ。SGIに圧力をかけるのではなく、協力してもらいたかった」と説明する。

 そして、さもなければ「コミュニティーが緊張」するだけでなく、「このコードを置き換えるために莫大な時間とエネルギーと資源を投じる必要があった。我々は必要な資金の見積もりに着手したが、率直に言ってそれは恐ろしいほどの額になった。だからこそ、SGIとの話し合いにこれまでの長い時間をかけたのだ。まったく、驚くほどの巨額だった」

 しかし、こうした状況下で問題の表面化を阻止するのは困難だ。FSFのコンプライアンス・エンジニアBrett Smithは次のように述べている。「ライセンスの変更を求めるためにみんなで怒りのファックスをSGIに送ろうかとIRCで聞かれたことがある。私は『いや、今はそのときではない』と応じた。我々はこうした反応を阻止しようとしていたのだ。というのは、gNewSenseコミュニティーの中に当初直情的な反応があり、SGIに猶予を与える必要があることを理解してもらうのに手間取っていたからだ。それが功を奏して、SGIは全交渉を通じて快く協力してくれた」

 問題を知らされたFSFはSGIに接触した。Brownによると、SGIの反応は当初鈍かったという。SGIにとっては、OpenGLコードもそのライセンスも優先事項ではなかったからだ。しかし、SGIはFSFの申し入れに好意的に耳を傾け、すぐに全面的に協力するようになった。

 「SGIは、交渉中常に友好的だった。これは第一に教育の問題であり、次に共同で最善の解決策を探すという問題だった」とBrownは強調している。

問題点

 Smithによると、SGI Free License BとGLX Public Licenseには「細かな違いはあるが、よく似て」おり、フリーソフトウェアとオープンソースのどちらから見ても主な問題点が3つあったという。

 第1の問題は、SGI Free License B第6節とGLX Public License第7節が何らかの知的財産権に抵触するコードの配布を禁じていることだ。「問題は、現状の特許制度、とりわけ米国の特許制度の下では、誰の特許も侵害しないことを確信できないコードを配布するのがきわめて困難だということにある。その場合ソフトウェアをまったく配布できなければ、この条項が広範かつ厳しく禁じているため、そのコードを配布する利用者の権利を大きく制限してしまうと考えられた」

 第2の問題も、SGI Free License B第6節とGLX Public License第7節に由来する。どちらのライセンスも、コードの配布者に輸出関連法に従うことを求めているが、Smithによると、ライセンスで違法を許容することができないのはもちろんだが、この文言では利用者に二重の危険性を強いることになるという。輸出関連法に抵触するとOpenGL関連ソフトウェアの配布権も失うことになるからだ。「利用者に何らかの法律違反があったとしても、それは政府の管轄であり必要なら訴追されるだろう。それについて、ソフトウェア・ライセンスがとやかく言うべきではない」

 第3の問題は、SGI Free License B第7節とGLX Public License第8節が、このライセンスの下でのコードのリリースに知的財産侵害の恐れがあることを利用者が知った場合、配布者に通知することを求めている点だ。Smithによると、利用者は守秘可能な情報の開示を強制される恐れがあるという。たとえば、ソフトウェアを弁護士にチェックしてもらい特許侵害の恐れがあることがわかった場合、守秘する法的権利を放棄しなければならない。

 Brownによると、どちらのライセンスについても「結果的には失敗したが、フリーソフトウェア・ライセンスにしようとしたことは明らかだった」。そこで、FSFはフリーソフトウェアでOpenGL関連ソフトウェアを使えるようにするため、SGIが本来の趣旨を達成できるように支援した。

解決策

 FSFはSGIにさまざまな解決策を提案した――問題の条項をライセンスから削除する、ライセンスを全面的に書き直す、関連する各ソフトウェアに第2のライセンスとしてフリー・ライセンスを付けデュアル・ライセンスにする、ライセンスを作成したときにSGIが危惧していた特許侵害の可能性の責任を引き継ぐ第三者にコードを譲渡する、など。

 FSFは、当初から、誰もが満足する最も単純な解決策を探そうとした。SGIがリリースしたOpenGLコードの多くが数年前に書かれた古いものだったから、これは特に重要なことだった。コードが古いため、その来歴を調べて、それに適用されるライセンスを確かめ、そのどこを変更すべきかを考えるというのは困難な作業だ。多くのケースで、コードの来歴やライセンスは明らかではなかった。

 Smithは「何年も前にSGIコードに携わった契約会社を探し出し、各ファイルのライセンスについて何か覚えているかどうかを尋ねた。しかし、結局、影響するものすべてが『OpenGL関連』であるとせざるをえなかった」。ありそうなことではあるが、思わず確かめたくなるような結論だった。

 最終的に、SGIは両ライセンスの改訂条項を利用することにした。この条項はGNU General Public Licenseの該当条項に似ているが、GPLとは異なり自動的だ。つまり、SGI Free License BやGLX Public Licenseの改訂が公表されると、その利用者には選択の余地なく自動的に改訂版が適用されるのだ。

 この改訂条項を利用して、SGIはライセンスの文言をMITライセンス(X11ライセンス)に基づくものに差し替えることを決定した。これによりSGIは自社が著作権を持つコードを完全なフリー・ライセンスの下でリリースすることができ、また改訂条項の規定により、関連ライセンスを探して変更するという手間をかけずに済ませることができた。新しい文言のライセンスが公表されれば、ライセンス問題はその瞬間に、何の痛痒もなく解消する。

コミュニティーへの贈り物

 こうした作業に関わっていない人から見ると、なぜこんな簡単な解決策に9か月もかかったのかと不思議に思える。これについて、Brownは次のように説明している。「あらゆる方法を検討し、SGIの弁護士が問題を精査する必要があったからだ。もろもろのことを考え合わせれば9か月でも早かったと思う。無意味な話し合いだと思ったことは一度もないし、SGIにとっては日常業務にはない煩雑な問題であり、そのため勝手がわからなかった。問題の重要性を理解するところから始めなければならなかったのだ。そして、いったん理解すると、SGIは利用者のコミュニティーのために行動しようとした」

 最後に、Brownは次のように述べた。「SGIには大きな感謝を捧げる。この問題がフリーソフトウェア・コミュニティーに引き起こしつつあった大きな痛みをわかってもらうのは本当に大変だった。問題のライセンスは、GNU/Linuxの基礎となるコードにとって死命を制するものなのだ。SGIはコミュニティーの素晴らしいメンバーであることを証明したと思う。SunがJavaをフリーソフトウェアとしてリリースしたのに似て、これはフリーソフトウェア・コミュニティーにとって大きな贈り物だ。」

Bruce Byfield コンピューター・ジャーナリスト。Linux.comによく執筆している。

Linux.com 原文(2008年9月19日)