このような一連の問題は、ここ数年でフリーソフトウェア運動がますます行動主義的になり、他の社会活動家との共闘に傾いていることの説明になる。昨今は「単なるフリーソフトウェアの開発活動は、さほど求められない。他にも開発者が大勢いるからね。一方で、デジタル制約管理のような、フリーソフトウェアを根本的に禁じかねない脅威が現れてきた。プログラミングだけでデジタル制約管理には立ち向かえない」
残念ながら、Stallman氏はこう指摘する。「人権や最大多数の最大幸福を標榜する人々は、フリーソフトウェアの支援という問題については、その存在さえ理解しない。その原因の一部は、オープンソースが存在を隠すのがうますぎることだ。アメリカでは、企業によるソリューション以外を否定する宣伝活動が非常に強い。利益優先の発想しかなく、すべてが利益を生むためにあると信じて疑わないんだ」
事実、フリーソフトウェアの25年間に関するStallman氏の苦言は、ユーザの自由が最初から強く訴えられてこなかったことに集中するようだ。「90年代にフリーソフトウェアの作成が本格化したが、そこにはフリーソフトウェアがユーザに与えうる自由についての考慮が抜け落ちていた。そして今、この関心の欠如が原因で、僕らのコミュニティはさまざまな意味において弱体で、傷つきやすい」
「そんな事情があって、このユーザの自由という問題に関心を持ってもらい、強い決意で自由を擁護する大きなグループを作り上げることが、僕らにできる一番重要なことだと決断した。それはことわざに言う「釈迦に説法」だろうとたまに指摘されるが、実際には運動の概念を聞いたこともない人がほとんどなんだ。だから、フリーソフトウェア運動になんらかの形で関わっているのにオープンソースの基本的な概念がわかってない人に訴えかけるのはとても有効だ」
明らかに、Stallman氏はフリーソフトウェアが進むべき道はまだ長いと信じている。さらに、この25年間を語りながら、現実と目標にギャップはあるが、落胆はしていないとはっきり明言した。「人生の残りの部分では落胆させられることばかりだよ。アメリカは中国をお手本にしてるみたいだ。およそ想像できる限りのあらゆる種類の胸糞悪いことを実行に移してる。奇妙なことだが、少なくともフリーソフトウェアの領域では、僕らは進歩してる。人権に関する他のすべての領域で事態は悪くなってるのに。この運動を始めたときは、ソフトウェアの世界を除いて人権が全般的に悪い状況になるとは思わなかったね。だから、僕らがソフトウェアの領域で進歩し、他の人権のフレームワークが周囲でファシズムへと崩れ落ちていくのは、実に皮肉で意外なことだよ」
Bruce Byfieldは、Linux.comに定期的に寄稿しているコンピュータジャーナリスト。
