5位から1位
5位: アンドリュー・トリジェル(Andrew Tridgell 1967-)
この辺から説明不要のビッグネームが増えてくる。オーストラリア出身。Sambaの開発者。
情報系の博士論文というのは、そこから何か直接的に有用な実装が出てくるというのはあまり無いような気がするのだが、この人の博論は、実のところrsyncの実装だった。もちろんrsyncは、現在でも最も広く使われているフリーソフトウェアの一つである。
4位: エリック・レイモンド (Eric S. Raymond 1957-)
1998年、オープンソースの名付け親の一人。「伽藍とバザール」の著者。近年のあまりプログラミングと関係ない分野における、率直に言ってずいぶんと間抜けな言動で思い切り評価を下げてしまった感もあるが(たとえばこれ)、フリーソフトウェアを巡る様々なアイデアを巧みに交通整理して、「オープンソース」という一般ウケするキャッチ―な概念に仕立て直してくれたのは大きな功績だ。個人的には、長年に渡って放置されていたJargon Fileを拾ってせっせと編集していた人という印象が今も強いのだが。
ところで、フリーソフトウェアの支持者にとってオープンソースは愛憎相半ばするという感じの存在だが、私が思うにオープンソースの存在は、長期的に見ればフリーソフトウェアにとって様々な意味で大変大きなプラスだったと考えられる。自らを映す鏡があるということは、成長にとって常に重要だからだ。実のところ、フリーソフトウェア、オープンソース、プロプライエタリの三者は相互依存関係というか、三つ揃っていることに意味があると私は思っているのだが、その話はまた今度。
3位: アンドリュー・モートン(Andrew Morton 1959-)
オーストラリア出身。アラン・コックスと並ぶリーナスの右腕、Linuxカーネル開発の立役者の一人。現在はGoogleに在籍。この人も説明不要だろう。なぜかメールクライアントに日本産のSylpheedを使っている。
1位: リチャード・ストールマン (Richard M. Stallman 1953-)
どういうわけかこのリストには2位がいないのだが、おそらく誤植ではないと思う。恐ろしいのであまり深くは追究しないことにするが、とりあえず一人目の1位はストールマン御大である。GNU Emacsを始めとする膨大なGNUソフトウェアの作者であり、FSFとGNUプロジェクトの創始者、GNU GPLの起草者、フリーソフトウェアという概念の考案者でもあり、20年以上に渡って斯界をリードしてきた偉い人である。偉いのだから、そろそろホームレスは止めて自宅を買うなり借りるなりしたほうが良いのではないかと思うのだが。
あまりに偉いので何となくからかいたくなってしまうのだが、しかし個人的には、100年後も名が残っているのは、このリストの中ではストールマンだけではないかと思う。なにクレイジーなことを言ってやがると思われていたのが、数年後、あるいは数十年後になって初めて正しさがじわじわ理解されてくるという、何かそういったタイプの、極めて射程の長い考え方をする人物だ。偉いのに普段はあのていたらくというのも、我々凡人に希望を与えてくれるではないか。
1位: リーナス・トーヴァルズ (Linus Torvalds 1969-)
何となく万年青年というイメージのあったリーナスももう不惑である。Linuxカーネルや分散バージョン管理システムGitを書き上げて今まで面倒を見てきたというプログラマとしての実績も重要だが、過激なフリーソフトウェア原理主義と唯々諾々としたプロプライエタリへの迎合の間を揺れ動くFLOSS界において、ストールマンと共にある種のバランサーとして機能してきたことのほうが、あるいはハッカーとしての功績を上回る重要な役割だったかもしれない。しかし、ストールマンもそうだが、リーナスも恐ろしいほど強情な人だ。どうやら強情はイノベーターの第一条件のようである。
といった10人である。ラリー・ウォールが落ちているだのブルース・ペレンスがいないだのまつもとゆきひろはどうしただのといろいろ突っ込みどころはあるけれども、まあそういうことを言うときりがないので、皆さんも自分なりに同じようなリストを作ってみると面白いかもしれない。個人的には、意外とアメリカ人が少ないのに驚いた。あと、みんなもう結構良い歳ですね。
