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Wikipediaを巡る愉快な実験と不愉快な結末

2009年04月25日 15:00 八田真行 1 2

去る2月、シカゴ出身のスコット・キルドール氏と南アフリカ出身のナサニエル・スターン氏という二人のメディア・アーティストが、Wikipediaに記事を執筆した。その記事は、既存の何かを説明しようとするものではなかった。むしろ、今までにないものを作りだそうという試みの一部だったのである。というのは、彼らは記事そのものをアートとして扱おうとしたからだ。彼らはそれを「Wikipedia Art」と呼んだ。

愉快な話

なんのことやらという方も多いと思うので少し補足的な説明をすると、美術界には60年代以降、Land ArtとかEarthworksと呼ばれる一連の流れがある。自然の地形や人工建造物を利用して作品を構築するコンセプチュアル・アートのことだ。当人たちは自分のことをランド・アートの作家と見なしていないらしいが、マイアミの島々やドイツ帝国議会議事堂(ライヒスターク)のような歴史的建造物を布で「梱包」したクリスト夫妻あたりは、中学の美術だったか社会科だったかの資料集に作品の写真が載っていたから、あるいはごらんになったことがある方もおられるかもしれない。

その伝で行けば、Landの代わりにWikipediaをバックとした作品を作り、見慣れたWikipediaの風景が一変するのを狙うというのがWikipedia Artの目的ということになる。なので、クリストに対しておまえの家でも梱包していやがれというのが(芸術的に)無意味であるのと同様、そんなことは自分で立てたWikiでやれという常識的な批判はやはり(芸術的に)無効である。なお、ランド・アートの多くが風化や破損を最初から織り込んでいたのと同じく、第三者によるWikipediaのルールに則った編集やコラボレーションは最初から想定されていた。

好意的に見れば、Wikipediaも芸術の素材になるくらいメジャーになったということで言祝ぐべきことかもしれない。しかし当たり前だがこんなのはウィキペディアンにとっては迷惑な話で、彼らの記事(あるいは芸術作品)が「オンライン百科事典」としてのWikipediaの趣旨に合うかどうかは怪しいものだ。よって15時間後、Wikipedia Artの記事は削除された。おそらく、削除されるのは書いた当人たちにとっても最初から織り込み済みだっただろう。

Wikipedia Artのやろうとしたことは、私個人としてはなかなか面白いと思うけれど、まあ、はっきり言ってしまえばコンセプチュアル・アートにありがちな「ちょっとした思いつき」に過ぎない。作品そのものが面白いかどうかはともかく、そうしたことをやってみるという過程全体がアートだ、というわけである。実際、Wikipedia Artの作品はついに生まれなかったわけだが、扱いを巡って「芸術とは何か」についてまで話が飛んでいったウィキペディアンらの削除を巡る大まじめな議論のシュールさは、何とも「芸術的」である。これは、なんでそんな大上段の議論になるのかさっぱり分からない(とっとと消せばいいじゃないか)という意味でも十分アートだし、こういったものを引き出しただけでも彼らの試みにはそれなりの意味があったと私は思う。ウィキペディアンに同情はするが。

ここまではまあ、少なくとも第三者にとっては愉快な話だ。しかしこの後は誰にとっても不愉快な話である。

最終更新:2009年06月25日 17:07