これで話が終わればなかなか華々しい成功例ということになるのだが、そうは問屋が卸さなかった。昨年からの深刻な不況はChicago Tribuneのような大手もChi-Town Daily Newsのような零細もひとしなみに直撃し、結局今年の9月でChi-Town Daily Newsは全ての記者をレイオフ、定期的な更新を止めてしまうのである(Some news about the Daily News)。
ただ、このことは先のドーガティのプランが非現実的であることを必ずしも意味しない。Chi-Town Daily Newsの問題は、200万ドルでは組織が回らなかった、ではなく、広告を排して寄付に頼る非営利組織という形態を選択してしまったがゆえに、そもそも200万ドルも集まらなかったということにある。不況になれば、寄付は広告以上に切られやすい分野なのだ。ドーガティもそう考えたようで、今度は営利企業として出直し、Chicago Currentなるメディアを立ち上げるそうである( Chi-Town Daily News Founder Launches New Venture)。
今度のドーガティの試みがうまくいくかはまだ分からない。また失敗に終わるかもしれない。ただ、アメリカには(もしかすると日本にも)ドーガティのような人物が多く存在し、現在も様々なやり方を模索していることだけは確かである。事実、Chi-Town Daily Newsと同様の非営利形態を採っていても、そこそこ好調な調査報道専門サイトはあるようで、日本でも最近読売新聞で取り上げられた(調査報道サイトが台頭、米主要紙と共闘も)くらいだ。新たな試みのうちいくつかは失敗し、しかしいくつかは生き延びる、というだけの話であろう。しかも、新たなビジネスモデルというのは、おおかた深刻な不況のときに種がまかれているものなのだ。
一方、現在の大手紙は健全なジャーナリズムの維持のためには政府からの援助が必要だなどと言っていて、事実税金の免除を勝ち取った例もあり(Why Is Washington Singling Out Newspapers For A Tax Break Instead Of Journalism?)、お話にならない。これは、私に言わせればジャーナリズムの自殺である。実際、政府の広告が多い新聞ほど政府批判が少ないという実証研究(How government money can corrupt the press: The story from Argentina)もあるくらいだ。どちらにジャーナリズムの未来があるかはほとんど自明だろう。
私自身は、今後はジャーナリズムとメディアの分離が現在以上に徹底することになるのではないかと思っている。ジャーナリストの個人なり(あまり大規模ではない)組織なりがあって、そうしたところが生み出した記事を、GoogleなりMSNなりケータイキャリアなりといった「マスメディア」に売るという構造になっていくと思うのだ。もちろん、こうしたところが(そのほうが安上がりだと思えば)内部に記者チームを抱える、という可能性もある(だからヤフーも報道機関になるって言ったじゃない)。日本でも、当事者にその覚悟があるかどうかは知らないが、ヤフーやライヴドアが報道メディアとなるという未来が現実味を帯びてきているように思われる。それは結局のところ、かつて百数十年前、現在のような新聞が生まれた経緯そのものでもあるのだ(アフターアワーズ: 紙新聞への処方箋)。今も昔も、鍵はあくまでテクノロジーとその理解なのである。
