So long itojun (don’t stay over there too long)

このところやたらに多忙で、ようやく一息ついたと思っていたら思わぬ訃報が飛び込んできた。

偉大なハッカーのitojunこと萩野純一郎氏が、先月末に急逝されたようだ。まだ40前の若さで、今後の活躍も期待されていただけに、非常に残念に思う。

私はitojun氏とリアルでお会いしたことはない。ニアミスは何度かあったのだが、残念ながら会話を交わすというところまではいかなかった。メールは何度かやりとりをしたことがある。nviの日本語(多国語)化についての話だったと思うが(氏はnvi-m17nを手がけていた)、あいにく当時のメールは散逸してしまっていて読み返すことができない。そういえば当時の私はFreeBSD上でviを使っていた。思えば人間変わるものである。

itojun氏は卓越したプログラマだった。少なくともIPv6などネットワーク関係の知識では世界で十指に入っただろうし、他の分野でもさまざまな業績を残している。しかし、単に卓越したプログラマというだけならこの世界にはツクダニにするほどいるわけで、率直に言って私にとってはどうと言うこともない。コードは書けても人間としては取るに足りない、という手合いは山ほどいる。氏が私にとって偉大だったのは、彼が優れたプログラマであり、かつ自分の「遊び場」を守るべく戦うことを厭わない人でもあったからだ。

私がフリーソフトウェア運動に関わり始めたのは1998年のことで、アメリカの片田舎で腐っていた私は、あるとき当時ハマっていたDoomで遊ぶのを止め、GNU関係の文書を翻訳したり、ハックの真似事をしたりし始めたのだが、それは、そのころ発表されたitojun氏の少年(?)は荒野を目指すを読んで衝撃を受けたからだ(そもそもはっかーずぱらだいす自体が、当時としては貴重な情報源だった)。氏があれを書かなければ、FSFに片足を突っ込むことも、Debianの開発者になることも、GPLv3の改訂に関わることも、MIAUを立ち上げることも、そしてここでこんなふうに詮ないことを書くとも無かったに違いない。

私は様々な分野の多くの人に影響を受けてきた。私の一部は彼らによって形成されたと言っても過言ではない。そして、少なくともフリーソフトウェア、とりわけソフトウェア特許の問題に関しては、最初に最も強い影響を受けたのはストールマンではなく、itojun氏だ。だいたいあの頃、ソフトウェア特許の危険性や愚かしさを理解し、本気で戦う姿勢を見せていたのは私が知る限りitojun氏だけである。以前別のところで、ストールマンやリーナスらを北極星になぞらえた話を書いたことがあるが、itojun氏は私にとっての北極星のような存在だった。面識こそなかったけれど、個人的な指標、物事の評価軸の一つを失って私はひどくさびしい。まあ、さびしいと言っていても仕方がないので、私は自分にできることを続けていくつもりだ。私が存在することが、この世界に少しでもプラスとなると良いのだが。itojun氏がそうであったように。

そういえばitojun氏の最近の日記で、氏が私のGPLv3日本語訳を読んだことを示唆する内容が書かれていた。あいにく訳への評価等は書いていなかったが(あとなぜか抄訳とか書いてあって苦笑した。あれは全訳だ)、私はとてもうれしかった。うれしかったので、(おそらくitojun氏は読まないであろう)他のところでそのことにちょっと言及したのだが、思えばあの時直接ご本人にメールを送れば良かったと、今になって悔やまれてならない。