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mhatta のジャーナル

アフターアワーズ: 紙新聞への処方箋

2009年04月30日 10:46 - mhatta
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最近SFJMに書いた記事について若干補足というか感想を。

紙新聞への処方箋。私のような頭の古い人間にとっては、ニューヨーク・タイムズほど知名度のある新聞がつぶれそうというのは相当大きなニュースなのだが、周りの人に聞いてみたところ、まあそんなこともあるんじゃない?という程度の反応だったので逆に驚いた。日米問わず、現状の新聞がだいぶ時代遅れの存在であるというのが多くの認識のようなので、反応もそんなものに留まって当然かもしれないが。

新聞のあり方について私が最近読んだなかで面白かったのは、新聞記者ジョー・ポズ氏のブログThe Future of Newspapersの記事である。統計的に野球の戦術を考えようというセイバーマトリックスの創始者、ビル・ジェイムズ氏が、なぜか今犯罪小説を書いているらしいのだが、その過程で新聞の歴史を調べたらしい。

彼によれば、アメリカで現在あるような一般大衆向けの新聞が生まれたのは1836年。ニュースを紙に書いて配るということ自体は何百年も前からあったが(日本でも瓦版があったくらいだし)、大量複製には膨大なコストが掛かったので一般的な慣行とは言い難かった。それが蒸気機関を用いた印刷機械の登場でコストが下がり、ちょっとした初期投資で誰でも自分の印刷所がもてるようになった。そこで、一人で記事を書く小新聞社が急増したのだと言う。どこかで聞いたような話じゃありませんか。いわく、

1845年までに、アメリカのどの大都市にも何十かの小規模な新聞社が生まれた。それらは、現在の大新聞社よりは、ブログにもっと近いような存在だった。

社説もなければ漫画もラテ欄もない、最初期の新聞は、書いている人間の(往々にして扇情的でいい加減な)意見が載っているだけの、確かにブログのようなものだったようである。それが百数十年かけて次第に洗練淘汰されて、たまたま現在のような新聞になったというだけの話だ。ようするに、大新聞社はネットだのブログだのを敵視しているようだけれども、新聞自体、元々ブログと似たようなところから出てきたものなのである。言われてみれば当たり前の話のはずだが、すでに自分の出自を忘れてしまっているのだ。

ただしその洗練は、新聞が紙媒体であるということにいくつかの面で依存していたので、その前提が崩れ始めると洗練自体が(少なくとも一部は)意味を成さなくなってくる。今起こりつつあるのは、まさにそういうことだ。

記事中でも書いたが、新聞の本質はニュースを迅速に他者に伝えることであって、それが紙に印刷されているとか、新聞らしい体裁であるとか、新聞社の社員が書いているとか、そうしたことは何ら本質的ではない。だとすれば、読者に届く可能性が最も高いニュース配送の経路が技術的なイノベーションなりなんなりによって変化したならば、それに随時合わせていかなければ生き残れるはずがない。百数十年前に一度起こったことが、また起きたというだけの話である。そういう意味では、Twitterがそうしたニュース配送の新経路になるというのであれば、新聞社がTwitterに手を出すというのは至極当然のことなのである。

ただ、それはそれとして、TwitterはTwitterで最近では、豚インフルエンザに関するパニックを広めていると批判されている。Twitterそのものに間違った情報を蔓延させる構造がある、というのが元記事の趣旨だ。

目立つために流行りの話題にはよく知らなくてもとりあえずコメントする、というようなインセンティヴの問題(ブロガーでもこんなんいっぱいおりますな)、正しい(と認められた)情報に間違った情報が付与されて、全体が正しいことになってしまう(「豚インフルエンザは危険だ!(これはまあ正しい) 豚肉を食べるな!(正しくない)」)などが挙げられていて、まあそれはその通りだと思う。まさに群衆行動(Herd behavior)である。ハーク氏はTwitterは情報の「配送」ではなく「回路」だと言っていたが、回路である以上ノイズで変調してしまうことは避けられない。これをどう復調させるかは、今後のアーキテクチャ設計の課題だろう。