[JM:03559] <再>特定の組版流儀は規範としての拘束力を持つか Re: 日本語文章内でのコロンの利用について

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IIJIMA Hiromitsu delmo****@denno*****
2022年 5月 6日 (金) 21:12:20 JST


いいじまです。

アーカイブのほうで文字化けしてしまっているので、再度流しておきます。
以後こちらにご返信いただければと。

> 私が掲載したリンク先はご覧になられましたか?
> 翻訳界での一個人の意見表明ブログではありますが、

「一個人の意見表明ブログ」なので「規範としての拘束力がある文章」ではない、ゆえに今回の議論の本筋とは無関係だろう、と判断し、読まずに前回のメールを投稿しました。

催促されたのでしぶしぶ開いてみましたが、「現在の一般的傾向」を淡々と述べているだけであり、やはり「一個人の意見表明ブログ」にしかすぎず、したがってやはり「規範としての拘束力がある文章」ではありません。ゆえに今回の議論のフレームワーク(JMとしてのハウスルールを議論して明文化すべき、という提案自体)とは無関係です。

もちろん、「JMとしてのハウスルールを議論して明文化す」る際に、個別具体的な1トピックとしてコロンの使い方を議論することは全く差し支えないですし、その際の参考資料としては、この記事は一つの有力な意見と言っていいと思います。

☆ ☆ ☆

> ただし翻訳界では、割りと常識のことと、
> 私は解釈しています。
> これについてどう解釈されますか?

[JM:03552] で色々と感情をぶちまけてしまいましたが、私はこの「常識」という単語が大嫌いなんですよ。Don't likeじゃ全然弱くて、hateでもまだ弱くて、f**kと言いたいくらいに。

そちらにも少し書きましたが、もう30年近く私は、「常識に従え」「そんなの常識だろ」あるいは「常識で判断しろ」という罵倒の言葉で人生をズタボロにされてきました。
そもそも、私の言動が周りの言う「常識」に合致するかどうかを判定する権限は彼らに専属しているにも関わらず、何がその「常識」なのかは誰も教えてくれない。
言わなくても当然理解していて然るべきという「場の空気」に押されて、教えてくれと質問することもできない。
仮に質問したら「そんなことも分からないのか」と罵倒されて、落第者という烙印を押されて、結局、所期の目的であった「何が『常識』なのか」を教えてもらうことはできない。

…こういう怨念が私の脳内には積もり積もっているわけですよw

なので今の私は「自分の信念を貫き、『常識』あるいは『当然』と称する迷信を粉砕・殲滅せよ」という原理に従って行動させていただいています。

そもそも議論というものは本来、
①最初に個々人が「前提条件=公理」を立てて、
②前提から順に三段論法で種々の結論が導かれて、
③万一、その結論が①より上位の公理(たとえば「生存不能となるほどの不利益を少数者に押し付けてはならない」)に反するようであれば、①の公理に例外条項などを加えて、
④また三段論法を繰り返していく
というものです。

もし、このサイクルの中に「常識」という概念が登場するとどうなるか。
本来、①で「前提条件=公理」とは「個々人それぞれ立てるもの」であり「証明不能、真偽判定不能であるから仮に真であると仮定するもの」でした。
ところが「常識」が出現すると、それは「万人が共有する前提条件」であり「証明なしに絶対的に真であると断定され、反論を許さないもの」となります。

その「常識」を受け入れない人は「異分子」であり「社会から排除あるいは抹消されるべき存在」「魔女狩りの対象となるべき存在」となってしまいます。
…これじゃ、何のために人類が「民主主義」「法治主義」という概念を持ち出してきたのかが全く分からなくなるじゃないですか。

なので繰り返しになりますが、私は「常識」なる概念を拒絶します。

☆ ☆ ☆

> 孫引き先を改めて明示しておきます。
> こちらも参照ください。
> JTF日本語標準スタイルガイド(翻訳用)
> https://www.jtf.jp/pdf/jtf_style_guide.pdf
> 3.2.7 コロン(:)

まず、このJTFという団体は民間の一般社団法人ですよね。そもそも公益社団法人・公益財団法人ではないですし、官公庁から独占的に業務委託を受けているわけでもなさそうです。

この文書自体も、学習指導要領やかつての当用漢字のように法的拘束力のある文章とは認められません。ましてや、従わなかったからという理由で逮捕されて刑事裁判にかけられることもありえません。
そうではなくてこの文章は、翻訳作業の現場で一般的に広く行われている(が全員が厳格に遵守しているわけではない)さまざまな作法を1つの冊子に集約して紹介しているもので、法的位置づけとしては「単なる参考資料」です。

なので出版の現場では、このガイドよりも各出版元のハウスルールが無条件に優先されます。

たとえば、海外で発表された何かの文章を日本に紹介することになり、原文の全訳をJTFの会員さんが依頼されたとして、訳本が1通だけ仕上がったとしますよね。
でも、その訳本をそれぞれ別の媒体に掲載する時点で各媒体の専属校閲者が割って入って、それぞれの媒体のハウスルールに合わせて微に入り細に入り修正を加えます。

あるいは、掲載先が最初から1箇所だけと分かっている場合は、訳者に依頼する時点で「このガイドラインにきっちり準拠して原稿を仕上げてください」という指示が入っても不思議ではありません。

☆ ☆ ☆

なのでつまるところ、JMとして何らかの表記統一を行うのであれば、あくまでもJMが抱える一切の事情をすべて勘案して独自にハウスルールを策定すべきです。どこかよそのコミュニティのルールを任意に引っ張ってきて「これが唯一無二の正解だ」と主張することは、完全な害悪でしかありません。

もちろん、他のコミュニティのルールの「個別の各パート」を「そのまま採用して問題なさそうだから」という判断で引っ張ってくるのは自由です。上記のJTFの文章は、その作業の際の資料としては大いに役立つと期待します。

#もちろん、JISの規定や学術界のハウスルールなども
#適宜参照する必要があります。もっとも、このあたりの
#流儀と上記JTFの提案とでは、日本語の基本的な書式に
#関する主張が思いっきりコンフリクトしていますが。

-- 
飯嶋 浩光/でるもんた・いいじま @ PC 
IIJIMA Hiromitsu, aka Delmonta
Email <delmo****@denno*****>



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